GUCCIの創業者
GUCCI(グッチ)の創設者であるグッチオ・グッチは
品質保証のために、世界ではじめてデザイナーの名前を商品に入れて販売した人物です。
さて今日はグッチ一族のお話をさせていただきたいと思います。
まずはグッチ一族が手掛けたといわれるオールドグッチのデザインから見ていきましょう。
1985年までに作られたオールドグッチが人気
現在グッチグッチ一族はブランド業界から撤退してしまいましたが、ファンの中ではグッチ一族がデザインしたモデルのみをグッチと認めるというような動きがあり、コレクターの中で人気が高くなっています。
シェリーライン
ウェビンラインやリボンライン、ウェブラインとも呼ばれているのがシェリーラインです。シェリーラインは赤、緑、青などのイタリアならではのカラーリングが特徴のデザインです。
シェリーラインの起源は馬具の腹帯でもあり、リボンをつけることでラグジュアリーさの中にカジュアルなアクセントが生まれます。シェリーラインはGUCCI(グッチ)としての存在感を示す魅力的なラインです。GUCCI(グッチ)のブランドシンボルともなっており、世界中で愛用されています。
バンブー
1947年には第二次世界大戦の影響から皮革は統制品となっていたため、皮製品を作ることができなくなってしまいました。その時に生まれたのが現在でも人気な竹素材を使用したモデルの“バンブー”シリーズです。
ピグスキン
このグッチのカードケースの茶色の革の部分。これがピグスキンです。
1949年、革製品の統制も解除され革製品の素材不足は解消されませんでした。
その時に出たものが“ピグスキン”と言う豚の革を使用したカバンを制作しました。尚、一般的にはピグスキンは豚革を使用しますが、グッチでは猪の革を使用しております。
ジャッキー
1950年代には現代でも人気なジャッキーバッグが作られます。このジャッキーとはカンヌキタイプの留め金のことを指し、一般的に使われている留め金と比べて特徴があるためとても人気が高い商品です。
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なぜこれらが上がると言われているのか
それはグッチ一族の没落をテーマにした映画が公開されるからと噂されています。
グッチ一族の没落とはどういった内容なのでしょう。
それらを紐解いていきましょう。
グッチ家の没落
(以下Wikipediaより参考文献)
創設者グッチオ・グッチには5人の息子がいましたが、主に経営参加していたのは三男のアルドと五男のルドルフォです。
三男のアルドは父のグッチオ・グッチと経営方針の違いでぶつかりながらも、GUCCIの海外進出を成功させました。
五男のルドルフォは元々俳優を目指していたのですが目が出ず挫折し、見かねた父はドルフォに声をかけ経営に参加させます。ドルフォは俳優の頃の人脈を生かして大物女優や俳優にGUCCIを使用してもらうことによりプロモーション面でGUCCIに貢献します。
そしてグッチオ・グッチはこの三男と五男にGUCCIの株を50%ずつ渡します。
時は流れてこの三男と五男に子供ができ、成長して三男のアルドが70~80歳の時代まで進みます。
三男の子供の名前はパオロと、五男の子供の名前はマウリツィオ
そしてこの話のキーマンであるマウリツィオの妻であるパトリツィアです。
出典:theguardian.com
同じ22歳だった二人は意気投合しますが、父であるロドルフォは
「金目当てでマウリツィオに近づいた女だ」と二人の結婚に反対しました。
マウリツィオは父の反対を押し切り翌年パトリツィアと結婚。
義理の娘となり孫も出産したパトリツィアにロドルフォも心を赦すようになり、グッチ家の若き御曹司とその妻の華やかな生活は度々メディアを賑わせ、世間にも広く知られるようになります。
アルドにはパオロのほかに2人の息子がいましたが、パオロはデザイナーとしての才能が兄弟の中でも抜きんでていました。それは、グッチ初のプレタポルテのデザインを手掛けるほど。
ですが、彼の思いは「万人にグッチを身に着けてほしい」というもの。その思いが、自然と低価格化に意識が傾いていきます。
パオロは、オリジナルのコレクションを大量生産し、スーパーマーケットで安価な価格で販売しようとしたのです。そのことに父アルドは大激怒してしまい、パオロはグッチから追放されてしまします。その後、彼は『パオロ・グッチ』というブランドを勝手に立ち上げます。
一方そのころ、五男・マウリツィオの妻であるパトリツィアは“社長夫人になる”という野心を燃やしておりました。
パトリツィアは、アルドとパオロの親子喧嘩を、自身が社長夫人となる好機と考え動き出しました。
グッチを追放され憎しみを抱いているパオロと手を組み、父・アルドを社長職から解任し、夫であるマウリツィオを社長に就任させます。
社長の座を下ろされたアルドはそのまま黙っているわけではありません。マウリツィオがルドルフォから株を引き継ぐ際にサインを偽造していたことを告訴し、マウリツィオを社長の座から降ろしました。
これに対しマウリツィオは、アルドの社長時代にパオロが脱税していたことを告訴され、実刑判決で80代のアルドは多額の罰金と禁固刑で収監されてしまいます。
この一件で、会社は解体の危機に瀕しますが、このまま経営を継続することを決心します。
パトリツィアの暗殺劇
2代目パオロ・グッチの死去に伴い、マウリツィオはパオロの子たちに連衡策を働きかけ、結果的にグッチの株式を独占することになりました。
パトリツィアは当初の野望を成し遂げた形になり、グッチの女帝のように振る舞い始めました。
例えば、デザインの才能もないのに、自分のオリジナルデザインのバッグを作らせたりしたのです。
しかし、パトリツィアがデザインしたバックはほとんど売れず、パトリツィアの野望どおりには事が進まなくなりはじめました。
マウリツィオは妻パトリツィアが自分と結婚したのは自分への愛というより、財産やグッチそのものが目当てであったことにようやく気づき、パトリツィアに嫌気がさして別居、愛を求めて別の女性と暮らすようになったのです。
また、経営の才があるとは言いがたいマウリツィオが経営した会社の売上は年々低下。
やがてマウリツィオはアラブ資本にブランドを売ることになり、グッチ家は経営から締め出された。ただ、マウリツィオにはまだ多額の財産があったのが唯一の救いでした。
当初のたくらみ通りに行かなくなったパトリツィアはマウリツィオに「罰を与える」として、マフィアを雇い暗殺を依頼した(事件発覚後押収されたパトリツィアの日記には「金で買えない犯罪は無い」と書かれていたという)。
マウリツィオはある朝オフィスに入るところで暗殺されました。
拳銃で後ろから撃たれ、さらに倒れたところを頭部に向かって撃たれたのです。
パトリツィアはマウリツィオの暗殺実行のわずか数時間後には裁判所に行き、マウリツィオの住宅などの差し押さえの申請をし、マウリツィオが愛した女性をその住宅から強引に退去させました。
事件は、暗殺犯が暗殺の報酬としてパトリツィアから受け取るお金(日本円にして7000万円相当)に関連して不満があったことが原因で発覚しました。
パトリツィアは逮捕され、裁判で懲役29年の判決となりました。
出典:theguardian.com
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そんなグッチ家の没落が映画になった
このグッチ家のすべてを記したとされる映画が2021年11月公開となる予定です。
パトリツィア役を務めるのはレディーガガです。
この映画によりオールドグッチはまた値段が上がるとささやかれています。
出典:httpshttps://www.harpersbazaar.com/jp/lifestyle/movie-tv/g29693722/ladygaga-maurizio-gucci-191105-hns/
この映画が公開になる前にオールドグッチを買っておくのもトレンドかもしれません。
最後に
最後までお読み頂きありがとうございます。
今回は少し小難しいお話でしたが
これを機会にぜひグッチのことをより詳しく知ってもらえると嬉しいです。
かんてい局大垣店ではそんなグッチのお品を幅広く取り扱っております。
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